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論証的学問性と透察的学問性、之を区別する権利を吾々は得た、そして前者は事実決定の真理に後者は事実解釈の真理に基く。この区別を混同する時、人々は多くの誤った困難を見出すであろう。例えば論証的学問性をもつべき科学に対して透察的学問性――それは性格的であった――を要求する時、その科学の無味乾燥が、非人間性が、何かの意味に於て批難されても好いかのように見えるであろう。併しこのような批難はその科学の正常な感覚を欠いているということを他にして何の意味も無論有たない。又逆に透察的学問性を有つべき科学に対して論証的学問性を求める時、その科学の散漫が、不正確が、批難されるべきものとして現われるであろう。例えば歴史学――それの学問性に就いては今述べる――は科学なりや否や、というような、或時代の題目は、恐らくこのような批難によって促されたものであろう。このような批難は批難するものの誤解を云い表わすものでしかない。その誤解が、今云った二つの学問性の混同であった。
「三箇月になります。」
この実践的動機は、方法が何であるかという理論的な問題から、必然的に、如何にして方法を求めるかという実践的問題を呼び起こさなければならない。というのは吾々が、この動機を溯る時、之が必然であるのである。
ああ、私は思念の息の根をとめた。雀が、あの鳴き騒いでる雀のすべてが、なんで童貞処女なものか。童貞処女は今年生れの小雀だけだ。それと親雀と、どうして区別出来よう。肉体、肉体そのものの心だ。
それから十日ほどたつてからだつた。板倉鳥子さんが古河から自動車を飛ばしてはじめて常陸へ來た。華族は違つたものだと冷かすと、あひ變らずお口が惡いのねとは答へたが、歸りは百合子を負ぶつた妻と停車場まで歩いて往つた。私が鳥子さんを知つたのは滿十四歳の時からで、新聞に散見する熟字や成語の意味を聞かれて教へてあげた頃から數へると、隨分久しいものである。長塚節が「まくらがの古河のひめ桃ふふめるをいまだ見ねども我れ戀ひにけり」をよんでからも十何年か經ている。
処がリッケルトの科学論に含まれている動機を少くとも三段に区別することが出来るであろう。最も根柢的と考えねばならない動機は、諸学問――特に自然科学と歴史学――の夫々がもつ独特の学問性の特色を明らかにしようとする処に横たわると思われる。併しこの動機は第一に、其に先立って、諸科学の方法論を確立する動機となって現われる。処が方法論は更に之に先立って第二に正に科学の分類の課題を動機するのである。この場合科学の分類は云うまでもなく方法による分類でなければならないわけである。その方法概念がとりも直さず今吾々の求めておいた処の意味に於ける方法概念なのである。かくて学問が、特有な意味に於ける――概念構成としての――方法の相違を原理として、分類される場合が生じて来なければならないのである。
哲郎は怪しい女の生活を思ひ出してキユーラソー位はあるだらうと思つた。彼はもう何もいはずに女に随いて歩いた。
消費の規整は、生活の単純化から始り、生活単純化の最も有効な手段として、生活の協同化が考へられ、生活協同化は、消費の面から生産の面に伸び、更に、相互扶助、隣保親善の精神を養ひ、生活の明朗化にまで発展しなければなりません。
法則に固有な一般化は一つの抽象化ではあるであろう。実在そのものを模写していない以上法則は抽象化が産んだものではあろう。併し抽象化必ずしもリッケルトの意味する一般化――Generalisation――ではない、とフリッシュアイゼン・ケーラーは考える。種概念から類概念への上昇がこのような一般化の意味であるが、このような種類の一般化が自然科学全体又はその代表的なるものを支配しているのではない。恐らく生物学であるならば(あまり代表的ではないこの自然科学であるならば)、この種類の一般化がそれに特有であるかも知れない。併し無論生物学の概念構成が例えば物理学の(代表的なるこの自然科学の)夫ではない。そしてこの物理学に於てこそ初めて法則の概念がその本来の面目を現わす。そうすれば法則の一般性はGeneralisierungであることは出来ない。分析――Isolierung――こそ夫である*。――フリッシュアイゼン・ケーラーはそう区別する。
B――お前はまた、いつも肥って嬉しそうな顔をしているね。
いづれの世でも革命の際は必ず陰謀がこれに伴ふ。從つてこれに關する記録も多くは當時の陰謀から出た結果の記録であつて信用し難いものであることは、古來屡見る所である。然し或時期を經過すると其時の陰謀に與かつた人々の多くは亡くなり、自然に觀察が公平になるのと、從來の記録に反對の材料を發見して史實を一變することがある。どうかすると支那等の樣な國では朝代の替り目のみならず、同じ朝代の間にあつても陰謀簒奪などの行はれた後では、時として右の順序を繰返すことがある。
女は其処の横町を左へ曲つた。向ふから待合の帰りらしい二人の若い男が来たが、その二人の眼は哲郎の方へぢろぢろと注がれた。彼はきまりがわるかつた。
十月十五日十月三十日にアナウンスするにきめた。
今や近代社会の征服事実は、ほとんどその絶頂に達した。征服階級それ自身も、中間階級も、また被征服階級も、いずれもこの事実の重さに堪えられなくなった。征服階級はその過大なるあるいは異常なる生の発展に苦悩し出して来た。被征服階級はその圧迫せられたる生の窒息に苦悩し出して来た。そして中間階級はまた、この両階級のいずれもの苦悩に襲われて来た。これが近代の生の悩みの主因である。
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